あるとき夢をみました。
懐かしくて、ほんのりと温かで、とても無垢な夢を。
まるで白いプールのようだった。
私は、一人そこにいました。
そこには、全身がぬるま湯に浸かっているような安堵感がありました。
ここはどこだろうと辺りを見回していると、遠くからおぼろげな声がきこえました。
私の名を呼ぶ声。
その白い場所はあまりに広くて、波紋のように響き渡るその声の主が一体どこにいるのか分からなかった。
私の名が呼ばれたことは確かでした。
静かで、低く、落ち着いた声の持ち主が誰であるのか、私は考えずとも分かりました。
ああ、呼ばれている。けれど、どうして私が呼ばれているのかが不思議でした。
彼は私を求めないだろうと思っていたから。だからこれは私の願望なのだろうと思いました。
現代に戻って久しく忘れていたひとだし、思い出すこともなかったし、
寝る前に思い出に浸っていたわけでもないのに急にそんな夢を見たのは、
私の心の奥底に眠っている小さな憧憬のせいなのだろうと思いました。
私は彼に対して申し訳なかった。
もし、夢が、自分の願望を実現させたいために見るものなのだとしたら、私は私のわがままで、彼をこんなところに呼び出してしまったのです。
ほかに誰もいない空間、私の名は、静かに数度呼ばれました。
懐かしくて優しい声に、私は少し泣きそうになりました。
長いあいだ忘れていたけれど、聞けばこんなにも鮮明に思い出せるのだと。
けれど私たちは二度と会うことはできません。
だから自分自身を戒めるために強い気持ちを心の中に呼び起こしました。
すると私は望んだとおり夢から覚めていました。
その夢をみた日は休日で、私は大学の課題のために街の図書館に行くところでした。
八月の夏休み、ぎらつく太陽の下、日傘を差して長い坂を上っていき、ようやく図書館の冷房に深呼吸をして、空いている席を探してそこに荷物を置き、まず始めに歴史の本がある区画に行きました。
本当は日本文学のレポートを書かないといけないのだけれど。
棚にぎっしりと詰まっている書籍の中から、これだろうという本を見つけると私はそれをぱらぱらとめくりました。
文字列から時代を追っていき、その中に「彼」を見つけたとき、私の目にはどうしてか涙がいっぱいにたまりました。
あなたはここにいる、と。
あなたはここにいたのだと。
周りの人にばれないようにしながら流れる涙を拭って、私はそっと本を棚へと戻しました。
それから本来の目的である日本文学が並ぶ場所へと微かに鼻をすすりながら向かいました。
そして私は自分自身の生活の中でまたあなたを忘れていくのでしょう。
あの白いプールはきっと彼が最期にみた夢なのだと思います。
私は、彼の本当の最期を知りたかったのかもしれません。
暗く冷たい海底ではなく、温かくて綺麗な場所に彼は逝けたのだろうと信じたかった。
それは願望なのかもしれない。いいえ、きっと願望に違いない。
それでも、きっとあの無垢な場所が彼の最期にたどりついた場所なのだろうと、
走馬灯のように駆け巡る思い出の中に、ほんの少しだけ私のことを見出してくれたのではないだろうかと、
私はそう思いたいのです。